ソロバンは私のDNA



『日経ナノテクノロジー』編集長
黒川 卓氏



ノーベル賞受賞者の白川英樹先生と一緒にショッピング(2001年5月撮影)


ソロバンの形を頭に浮かべ、ふと、「DNAに似ているな」と思った。最初、そんなに深いこと を考えたわけではない。DNA(デオキシリボ核酸)というのは我々の体を構成する細胞の中に ある細長い分子。その長手方向の所々に点在する遺伝子という領域が体の成長を決めている。 ソロバンは4個の珠、DNAはA(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)という 4種類の塩基からできているから、「構造が似ているな」と感じたのだ。

正確には、ソロバンは4個の珠が1本の棒に通され上下からフレームに挟まれて並んだ連続構造だが、 DNAはAとT、またはGとCのペアから成る2個ずつの連続構造である。その上、ソロバンには桁が 変わる時に使うもう1個の珠(5つ珠)があるからさらに違う。

そんな厳密的なことを言っては話が終わってしまうが、「両者には絶対に何か関連性があるはずだ」 と頭の中で決め付けてしまった。時々、何かを考え始めると止まらなくなってしまうことがある。 子供のころからそうだった。今回も、「またか。しまった」と思った(冗談)。

ソロバンとDNAを関連付けるうちに、教育、経済、政治、産業、恋愛など、いろんなことを考えた。 すべて結論には達していないが、現時点ではっきり言えるのは、「ソロバンもDNAも無限の可能性 を秘めている。でも、使わなければただの道具」ということ。

積極的に知識を吸収し、モノを考えることが脳を成長させる

 「細胞生物学」の教科書によれば、人間は周りで起こった事に触発されてからモノを考え、 その思考力が神経細胞を成長させるという。決まったプログラムが毎回同じ答を出すコンピューターと違い、 人間は同じ問題が与えられても、その時によって違った答を出す。最初は偏った考えの答しか出さないが、 周りの人や自然との交流、異なった文化と接することよって知識が豊富になり、徐々にたくさんの 回答を出せるように成長する。つまり、それまでに頭の中に蓄えられていた知識に、さらに新しい知識が加わり、 最新の知識を道具として思考することで精神はまた成長する。

問題は、経済的に豊かで行動が自由な社会になるにつれ、人間は苦痛なことの受け入れを拒否して新しい 知識の吸収を自ら断ち、全体的に学力や知力を失いつつあることだと思う。そうならないようにするには、 人は外からの押し付けを初めから押し返すのではなく、いったんは受けとめ、次に判断する能力を育てるべきなのである。 そうしないと頭は成長しない。古く印象の薄い記憶は消えるので、成長しないと言うより退化する。

子供の潜在能力を発揮させるのは親や教師の責任

「あのお宅はご両親が優秀だから、やっぱり子供さんも。それに対してあちらはね・・・」と、 子供がダメな理由はよく遺伝のせいにされる。これは完全には正しいとは言えない。 特別な知的障害を持っている場合は別だが、健全な脳を持って生まれてきた子供に対しては、 親や教師や周囲の環境がその後の子供の成長に大きく影響を与える。

人体は親から遺伝する。しかし、体の構成部品によって遺伝の割合が大きく異なる。 顔立ちと体型は非常に似る。それに対し、ある講演会で聞いたには、脳神経の遺伝の割合は約30%。 つまり、残りの70%は生まれてからの周りの影響と自分の努力によってどうにでもなるということである。

ダメな親の子供がたいていダメなのは、親の行動と言動が子供に対してよいお手本になっていないからだと思う。 学校で教える勉強内容を、親は常に子供より先に多く知っていればいいという問題ではない。 現に、高校生くらいになれば、ほとんどの親は子供の教科書を理解できない。私が高校時代、 生徒は教師より難しい問題を解けた。東大法学部に行った同級生の一人は、英語の先生に英単語を教えていた。 それはしかたない。大切なのは、親や教師は子供に対し、好奇心を持たせ、頭を使うことの重要性を理解させ、 受験問題の模範解答でなく論理的に思考するよう導くこと・・・だと思う。

私は、そもそも小中高の在学生が通う学習塾や参考書が存在すること自体がおかしいと思う。子供のころ、 周りに学習塾が無かった。有ったのはソロバンと習字塾だけ。「ど」の付く田舎だったからである。高校時代、 ハチマキをした小中学生がギッシリ詰まった都会の学習塾をテレビで観た。その時、恵まれていることをうら やましいと思った反面、同じ餌を与えられて自分の出荷を待つ養鶏場や養豚場のように見え、気持ちが悪くなった。

なぜ学校と教科書が有るのに、下校してから同じことを教える学習塾に行くのだろうか。絶対におかしい。学校の教師は真剣に教える気が無く、生徒も教師を尊敬していないのではないか。本来、学校で基本的なことはすべて教えてくれるはずなので、帰宅しての時間はそれまで習ったことの意味や理屈を自分で考える方がよい。納得、あるいは理解ができないことは次の日に学校の先生に聞けばよい。塾が無かったせいもあるが、私たちはそうしていた。

でも、いまさら学習塾というビジネスは無くならないだろうし、塾へ行くならまだましかもしれない。社会が豊かになるにつれ、親や教師はますます子供を見離し、子供は親や教師が怖くなくなってきたので自由で楽な方向に逃げている。強制的な拘束力が無くなった場合、大人も子供も楽な方向に向かうのが自然なのだろう。そうやって、知識の補給が断たれた自由な子供達だけが集合し、お互いを低め合う遊びばかりをする。平日の昼間から渋谷周辺をうろついている子供達は、目に生気の無い捨て犬に見える。吠えてはくるが、しゃがみこんでいて体力もなさそうだ。この状態は大人が何とかしなければならない。

たとえ塾で受験のノウハウを習得して大学に合格しても、目的意識が無いので勉強しない。入学前に暗記した知識は、理解していないので1年もしないうちに忘れ去る。

私たちは中学校から英語を習ってきた。しかし、国際会議で日本人の英語力は世界最低レベル。特に、実際に研究を行った若手研究者を来させないで、年功序列で観光旅行目当て来た管理職はひどい。大学の先生に食事をおごって出張報告書を書いてもらい、自分は遊びに出かけるところをみたことがある。社名は言えないが、誰でも知っている大企業の理事、しかも工学博士号を持っていた。

英語を学ぶ本来の目的は、世界の情報を理解し、共通語として海外の人との交流に用いるためではないか。単に大学に入るために暗記した英語は、社会に出てまったく役に立っていない。たどたどしい旅行英語が相手に通じて満足している人も多いが、学会やビジネスでは使えない。丸暗記した英語表現を使うのでなく、英語でモノを考えなければ通用しない。義務教育期間である中学の3年間だけでも本当に英語を勉強したのなら、話ができないことは何かがまちがっている。

米国シリコンバレーにある某巨大IT(情報技術)企業の社長は、アジア地域で日本での事業を見直し、日本法人を閉じることまで発言したことがあるらしい。その理由は、「アジア地域で唯一日本だけ、クライアント向けの資料をすべて日本語にしなければならない。他の国では資料も会話も英語のままですむ。そのうえ日本では人件費がやたら高い。売上成績もかんばしくない」からだと言う。日本法人の社員の英語力は極めて高い。問題は、クライアントとなる日本人全体の英語力が低すぎること。おそらく、困っているのはこの外資系企業だけではないと思う。国内経済の活気を海外との交流に期待しても、日本の評価が下がっては相手にされなくなってゆく。

ITと科学技術の進歩が思考力を低下させている

ITの発達そのものが、自分でモノ考えない傾向をさらに強めている。「インターネットや電子メールが普及するにつれ、かえって仕事が増えてき」と若い優秀な人がよく漏らす。その理由は、もともと仕事をしない上司が、自分の仕事を考える前に電子メールで部下に振る。部下も処理が面倒なので、それぞれの内容に詳しい担当者や社外の専門企業に振る。こうやって、仕事は優秀な人だけに集中し、その他大勢、特に役職が高いだけの人たちが自分でモノを考えない傾向をさらに高める。ITを使って人に仕事を振ることで、その日の仕事は終わると思っている。

本来、ITというものは情報の流通を活発にするための便利な道具。IT化が進むほど、客が受けるサービスも向上するはずだ。ところが実際は、企業の人員削減のためにIT化が進められ、実質的にサービスは低下している。例を挙げると、銀行の自動振込機は客に銀行の仕事をさせ後ろの客を待たせ、通信事業者の統合でサービス内容はますます複雑になり問い合わせに対して担当者間をたらい回しにさせ、EDIと称する電子商取引は自社の利用マニュアルを相手に強制的に使わせる。1社ならいいが、2社、3社と増えるにつれ、納入業者はたくさんのマニュアルを覚える必要があり、仕事量が増える。

ようするに、ITは理想に反して余計な仕事を増やし、仕事をする人としない人の差を広げ、そのうえサービスを低下させるという状況にある。ここでも、できるだけモノを考えないで楽をしたいという人間の悪い習性が結果として現れている。

最近、原子力発電所での事故が増えてきた。私は原子力分野の研究者だったので特に気になる。事故の原因は、原子炉の老朽化にもある。しかし、原子力を理解している人が減ってきたことが根本的な理由かもしれないと思う。もともと危険な原子力を発電に利用する場合、十分な知識と注意力が必要となってくる。しかし、機械化と過去の事例のファイリングは進めるが、原子力の危険性をよく知らない作業者に、原子力の基礎を理解していない使用者が仕事を任せている可能性がある。さらに現場の作業者は、制限時間の間に効率よく仕事を済ませるために手抜きをする。このような悪循環が、原子力発電所での事故原因の一つだと私は個人的に心配している。

科学技術の発展は、「進化が変化に付いて行けない」問題をますます浮き彫りにしている。生命工学における遺伝子の改良がそうだ。本来、生命体は自然の変化に呼応しながら長い年月をかけて進化する。しかし今、遺伝子操作によって細胞の性質を内側から強制的に変化させることができるようになった。工業化による外側からの人工的な環境の変化もある。これらは医学や産業の進歩にとって重要だが、原子力と同様、コンピューターや機械だけに任せて人がモノを考えることをやめた場合、非常に危険な事故が起こってしまうことは間違いない。どれだけ科学が進歩しても、常に人間が考える余地がないとたいへんなことになる。

意欲有る人とのコミュニケーションがDNAから潜在能力を引き出す

冒頭で述べたように、人のDNAは無限の可能性を秘めている。問題は、人がモノを考えなくなってきたので、DNAを揺さぶれず、潜在能力を出せなくなってきたことだと思う。偉そうなことを言うほど自分自身は立派ではないが、ご提案として、できるだけ実力があって前向きは人とたくさん会うことを勧めたい。仕事を押し付けるためでなく、その人たちから学ぶためである。

私は44歳にもなって、あゆの大ファンだ。特に’Fly high’という曲が気に入っている。彼女には中年の心まで捕らえて共感させる実力がある。潜在的な能力の上に相当な努力が重なってできた実力に違いない。世の中には、実力以前にテレビに出るべきでないくせに「私はアーティスト」と自称する愚か者がたくさんいて腹が立つ。インターネット上には、ナルシストの自己満足的な日記がたくさん載っている。これも現代の公害だと言える。私が付き合うことをお勧めするのは、実力を持った前向き人なので間違えないでいただきたい。

科学ジャーナリストという仕事をしているので、これまでに10人を越えるノーベル賞受賞者にお会いできた。中には、電子メールやクリスマスカードを交換したり、買い物にお供させていただいた人もいる(写真)。「天才と馬鹿は紙一重」という表現がある。ノーベル賞受賞者に限らず、非常に高名な科学者は変わり者だと勘違いされがちである。これは大きな間違い。一般よりよほど常識的で心も広い人が多い。これまでにたくさんのことを学ぶことができた。

私が子供のころ、勉強をする人はいじめられた(私は勉強が嫌いだったが、気が小さいのでいじめられた)。あれは何なのだろうか。人間の習性として、勉強して一歩飛び出すことを阻止する生物としての潜在的心理があるのかもしれない。ヒエラルヒーができる集団の中では、階層を維持するために教育を受けさせないケースまである。序列を守ったほうが安全だという防衛本能が有るのかもしれない。

日本社会では「お手本」や「教え」が重んじられ、死ぬまでひたすら辛抱し、頂上のどこまで近づけるかを重要視する。たとえ頂上に達しなくても、その過程を経験しただけで仲間に入れてもらえる。この習慣は文化や村社会を守るためには大切な反面、先人を超えたり間違えを改めることを良しとせず、ひたすら忠実に従うことが美徳とされる。必ずしも悪いこととは言いきれないが、問題は、何のために序列の順に従うのか、その理由を考えないできたことだと思う。このような長年の習慣が、モノを考えず大学合格や出世のためだけに勉強する日本人を作ってしまった。

今は昔より勉強する条件が恵まれてきたと思う。中学を出るまでは、国民はみな同じ教育を受けることができる。大学まで行く人が増えてきたので、さらに教育を受ける機会が増えた。社会人になっても、放送大学で、生涯、高等教育を受けることもできる。しかし、恵まれるにつれて勉強をしなくなってきたのは不思議な現象と言える。これはわがまま以外の何ものでもなく、言い訳はできない。

とにかく、日本は自由主義社会になってきたのだから、個人に与えられた機会は増えた。たくさんの前向きな人に会いやすくなってきた。会う人の年齢、国籍、職種、役職などは関係ない。どの領域にも前向きで尊敬できる人はいる。前向きな人と会うと気持ちが明るくなり、自分も前向きになってくる。

「ソロバンは私のDNA」と題したが、ソロバンの中に遺伝子は無い。本物のDNAの中には遺伝情報を担うエクソン、遺伝情報は持たないがエクソンの働きを縁の下から支えるイントロンという領域がある。ソロバンは強いて言えばイントロン。指を使ってイントロンであるソロバンをはじき、ソロバンから指に戻ってくる信号で脳神経のエクソンを働かせる。だから、人間のDNAとソロバンは共生していると言える。

追伸

今から35年前、私が小学校3年生の時である。私は古川という町(2002年春のNHK朝の連ドラの舞台)で春からソロバン塾に通い始めた。そしてその冬、父から500円のトモエソロバンを買ってもらった。それまで父のお下がりを使っていたので、とてもうれしかった。ところが、買ってもらったその日、ソロバン塾の前の雪で滑って転び、小川にソロバンを流してしまった。ソロバン塾から皆が出てきて探してくれたがダメだった。何日も泣いた。公務員である父の給料は決して高くなかったが、私があまりにも悲しそうなので、母と相談してまたトモエソロバンを買ってくれた。うれしかった。今度は絶対に落とさないように気をつけた。モノと友達を大切にしましょう。

おしまい



©1998 Tomoe Soroban