そろばん文化の将来のため
    松岡正剛氏
      編集工学研究所所長

そろばんは夢のような道具だった。ぼくの家は京都の呉服屋だったので、そろばんを使う魔術師のようなおじさんや若い衆がたくさんいた。クラスにも暗算の天才がいた。彼女はたいへんきれいな女生徒で、コンクールで三位になっていた。

これでは、ぼくもそろばんをマスターするしかなかった。YMCAに通った。いまでも頭の隅では読上げ算の声と珠算の音が鳴るときがある。

そろばんは計算器である。しかも運指と思考を伴う計算器だ。いまやすっかり電子に席巻されてそろばんの運命も消えかかっているかに見えるけれど、むしろこういう時期はそろばんを日本文化の機能的象徴のひとつとして残していける道を探したほうがよいかもしれない。それには漢字文化や着物文化と手を組んでみるとよい。にほんは残さなければならないものをまだまだ抱えている国なのである。


©1998 Tomoe Soroban