そろばんの本質を考える

直観像研究家 中田光男


日本文化の伝統をふまえたソロバンは、「読み書きソロバン」といわれ、永い間教育に貢献してきました。戦後、科学技術の進展はコンピューターを生み、今では小学生までが電卓を持つ時代となりソロバンは片隅におしやられました。一時期、珠算塾は3万のピークが、電卓の普及によって珠算人口は急減しました。

この頃からソロバンの効用が叫ばれ、ソロバンは幼児に数の概念をつかませるのに最適とか、電卓より速く計算が出来るとか、集中力を養い他学科の学習に効果的とか、最近は右脳開発に役立つと宣伝されています。幼児に数の概念を教える道具であるのはなっとく出来ますが、その他は信じられない虚妄です。ソロバン技能は知能とは無関係だからです。

ソロバンの効用はこれとは違うところにあります。ソロバンを習い始めてから練習を繰り返し、運珠がごく自然に出来るようになると、読み上げでも見取りでも自然に指が動きます。この過程はごく当たり前のことと見逃していますが重要なことで、これこそソロバンの本質です。運珠が自動化され数を意識しないで反射的に珠を動かしています。意識しては珠は動かせませんから「無意識」が働いていることは明らかで、このメカニズムは大脳の理性が働いたからではなく、脳の中心をなす脳幹部の作用(知覚・記憶・選択)によるものです。脳幹は人間の生命の座で喜怒哀楽の他、好悪の感情を操っています。ソロバンが楽しいから塾に通ってくるのであって、右脳が開発されるからではありません。

更に級が進むと暗算を学びますが、12才前の小学生では脳幹にソロバンのイメージ(直観像)を簡単に描くことができますから指で珠を動かすより早く珠像で正答が得られ、生徒自身が驚きます。つまり直観像を利用したわけで体で覚えたのです。直観像は12才までの子どもが生まれながらにもっている素質です。素質を引き出すのが教育の原義ですから、今日の知識のつめこみは教育の本旨に反しています。この点に気づいたのが中国です。人口の一割の一億人以上の成人と子どもが珠算を学んでいます。昨秋、北京盲学校を訪問し点珠器の発明家、宇文永権さんに会いました。彼は拙著の中国版を読んでいて、同感と感謝の言葉を述べていました。続いて小学校の盲児7人が加減乗除を点珠器を使い実演し、続いて暗算で6〜7ケタの加減乗除を実演しましたが、全てが健常者と同じかそれを上廻るものでした。同行した通訳の陳頼健君(中国科学技術情報研究職員)は数学の専門家ですが、そのすばらしさに感激し涙を流していました。感動の一瞬でした。

珠算教育は今転機を迎えています。珠算の教師は珠算の本質を見失って「珠算を教える」ことに腐心して「珠算で教える」本質を忘れたようです。ソロバンは筆者の提唱する直観像教育の入口です。他学科の学習を暗記ではなく、半永久的に接続する直観像記憶への導入部であり教育の王道なのです。




©1998 Tomoe Soroban